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アスペルガー夫の特徴と対応策ブログ

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「アスペルガーだから・・・」は甘えなのか? 〜「仕事では上手にコミュニケーションできてるのに、家でできないのは努力不足」は本当か?〜

アスペルガー症候群(アスペルガー障害)というのはWHOでもアメリカ精神医学会でも正式に認められている「発達障害」という障害であり、これを克服して夫婦や職場でうまくやっていくためには、「アスペルガーだからこれとこれはできないからサポートしてほしい」と理解を求め、サポートしてもらう必要があります。

しかし、これを言うと「アスペルガーだからできないというのは甘えだ。」という意見が返ってくることがあります。




「アスペルガーは甘え」は誤り。アスペルガーは気持ちが読めないという先天的な発達障害

アスペルガー症候群を始めとした発達障害は今は以前と比べて認識されつつありますが、まだ「すぐに『アスペルガーだからあれはできないこれはできない』は甘えであり、もっと努力すべきだ」という考え方が残っています。

まず、アスペルガー症候群に対してほとんど知識がない人は、「アスペルガーだからあれはできないこれはできない・・・は甘えではないか。」と考えてしまいがちです。

特にアスペルガーの夫を持つ定型発達の奥さんは「アスペルガーだからと甘えて私の気持ちを察する努力をしない」「アスペルガーだからと甘えて言葉のニュアンスを汲み取って動くということをしない」「アスペルガーだからと甘えて気遣ったフリだけするのではなく本当に気遣ってほしい」などと考えてしまうことが多いようです。

しかし、アスペルガーの人は表情を察する脳の活動もできず、言葉のニュアンスを汲み取る脳の活動もできず、相手を気遣う脳の活動もできないという、脳の発達障害なのです。

これは長い年月をかけて「このように行動すべき」という知識を得る努力すれば、少しは改善して行きますが、定型発達の人と同じようにはなることはありませんし、「このように行動すべき」という知識のもとに行動しているので『気遣っているフリ』に見えてしまうと言われればそれまでで、奥さんがそのように捉えてしまってはもうその先はアスペルガー夫自身で改善する方法はありません。

「『アスペルガー症候群は努力が足りない』という考え方は、『背が低い子が自力で高いところのものを取れないのは努力が足りない』という考えと同じ」と話す専門家もいます。

背が低い子は自分の手が届くところよりも高いところのものを取りたいなら、努力してジャンプして取ってもいいのですが、脚立を持って来て取ってもいいし、近くに背が高い人がいるのであれば脚立なんて危ないものを使わないで背が高い人にお願いして取ってもらった方がよいという考え方です。

これは、アスペルガーにできもしない気持ちを察することを望むのではなく、ねぎらったり共感してくれることは親や友達などに望んだらいいのではないかという考え方です。

アスペルガー症候群というのは気持ちを察することができない障害なので「アスペルガーだから気持ちを察することができないというのは甘え」というのは「視覚障害だから見えないというのは甘え」「知的障害だから同い年の人と同じように考えられないというのは甘え」と言っているのと一緒で、このような考え方をしても誰も得することはありません。

私たちの夫婦でもこのようなやり取りは頻繁にありました。

私は小さい頃から「もっと相手の気持ちを考えなさい」と言われ倒して来ていたのですが、結婚生活が始まってからは「これからはがんばろう」と思っていました。

しかし、「相手の気持ちを考える」というのは体調が悪い時やストレスが溜まっている時はもちろん、ばっちり元気で気分がいい時でも全く出来なかったので、結婚生活の序盤で私は諦めていました。

妻はかつては「気遣う努力をしてほしい」「そんなこと、ニュアンスで分かって当たり前だろう。」「解決策なんか聞きたくないし、ただ褒めてほしいだけなのに、なんで最後まで聞かずに解決策ばかり言うのか」としょっちゅう私に言っていました。

しかし、実は私は気遣いやニュアンスの理解ができない脳の構造をしていたのであり、「過去の経験から、このように言ったらいいんだろうな。」と思うことを言っても棒読みのような言い方しかできないという障害だったのです。


仕事ではできるのに家庭ではできないのは努力不足ではなく、会話の目的がわからないから

上記のように、アスペルガーや発達障害に関する知識がほとんどない場合、単純に「障害」と「努力不足」の違いがわからずに誤解してしまうことがよくありますが、実はそうではなく、アスペルガーに対して多少の知識がある場合でも「でも、私もアスペルガーを理解したつもりだけど、それを踏まえても甘えなのでは?」と思える場面があります。

例えば、家庭では定型発達の人同士のコミュニケーションが取れないのにもかかわらず、仕事などでは講演、プレゼン、商談、交渉などで成功しているというアスペルガーのパターンです。

アスペルガーは相手の気持ちを読んでコミュニケーションしたり、深く共感し合ったりすることは苦手ですが、昔のことを記憶しておくことは得意なので、知識や経験から学んで仕事で成功を収めて行くというパターンは多いです。

もちろん、職場でも相手の気持ちを読んでコミュニケーションできているわけではなく、深く共感し合っているわけでもありません。

また、仕事では「講演の目的は主催者と受講者を満足させること」「商談の目的は目標の金額以上で受注すること」のように目的がはっきり決まっているため、アスペルガーがやっているのは「気持ちを読んだコミュニケーション」ではなく、「目的達成のための解決策を実行すること」であり、それは相手の気持ちを読んで言動を選ぶのではなく、知識や経験をもとに言動を選んでいるだけです。

ところが家庭では、奥さんが言った何かに対して答えを返すときになると、その「会話の目的」がはっきりしていないと「目的達成のための解決策を実行すること」ができません。

「会話の目的」とは、奥さんが話を聞いてほしいのか、共感してほしいのか、慰めてほしいのか、ねぎらってほしいのか、褒めてほしいのか、謝ってほしいのか、愛していると言ってほしいのか、許可を出してほしいのか、意見がほしいのか・・・のことです。

この「会話の目的」がわかっていればまだましで、アスペルガーの夫は「目的達成のための解決策を実行すること」、つまり褒めてほしいなら褒める、愛していると言ってほしいなら愛していると言うこともできなくはないのですが、これがわからない場合は「気持ちを読む」ということが出来ない以上、もう何もできません。

そして、このような時の奥さんが求める「会話の目的」は「話を聞いてほしい」「共感してほしい」の2つである場合がほとんどなので、これがそもそも苦手である上に、(特に会話の目的が明確でなければ)解決策を示したい夫はすぐに解決策を出してしまいます。

そして、アスペルガーの人は常に癇癪に至るに近いくらいの高いストレス状態でいるため、「ただ話を聞いてほしい」というだけでも、アスペルガー夫自身のストレスが爆発するリスクがあり、それをアスペルガー本人もわかっているため、話を聞いてもらうタイミングも重要です。
(実際に、職場でも常にコミュニケーション上手なわけではなく、時に癇癪を爆発させていることは多いと思います。)

そのため、なるべくアスペルガー夫のストレスが高くないタイミングを選び、「今から話す話はただ聞いてほしい」というように会話の目的を明確にした上で話しかければ、アスペルガー夫でも知識や経験をもとに言動を選べるようになる可能性がありますが、それらなしにアスペルガーに気持ちを読んだコミュニケーションを求めるのは無謀です。

そして、相手が気持ちを読むという点に障害があるアスペルガーである以上、求めるコミュニケーションをするためには会話の目的を示すのは必須であり、妻の方が「なんで私がそこまで何もかも説明しなければならないの!」と言ってしまえば、目的を説明してもらえない限り言動を選べないアスペルガーとしてはそれまで、もうその先はアスペルガー夫自身で改善する方法はありません。

仕事では努力でコミュニケーションできて、家庭では努力不足でコミュニケーションができないのではなく、仕事では会話の目的が明確だから周囲の目的に沿ったコミュニケーションができ、家庭では会話の目的が明確でないから妻の目的に沿ったコミュニケーションができないのです。


我が家の対応策は「仕事でコミュニケーションを取るように家でもコミュニケーションを取る」

私も経営コンサルティングの仕事をしていた頃は、当初は失敗ばかりでしたが、知識と経験をもとに行動パターンを決められるようになってから、一気に成功できるようになりました。

新規の案件の商談では自分には出来ない気持ちを読むことは諦め、経営者の悩みと企業の課題を知識と経験をもとに分類し、自分が受注できたいくつかのパターンの中から言葉を選んで商談したら、おもしろいように仕事が取れるようになりました。

コンサルティングのプレゼンや打ち合わせでも自分には出来ない気持ちを読むことは諦め、クライアントの興味や心配事を分類し、過去に満足度が高かったいくつかの資料の中からパターンを選んで作り替え、その資料をもとにプレゼンしたらクライアントの納得度も高く、業績も上がるようになり、社内の「顧客満足度大賞」を授賞したこともありました。

ところが、家庭で妻から怒濤のように話しかけられる話は「聞いてほしい」のか、「褒めてほしい」のか、「理解してほしい」のか、「アドバイスがほしい」のかがわからないため、自分の言動を選べませんでした。

妻が私に何をしてほしいのかはアスペルガーである私には言葉で説明してもらえない限りわからないので、私は自分がやりたい言動である「解決策を示す」しかできませんでした。

妻からみると仕事では上手に話すのに、なぜ家では全然ダメなのかが理解できないと言っていました。

しかし、アスペルガー症候群について学んだ今は、「会話の目的」があれば私でも言動を選べるようになることを知ったので、妻が不機嫌な顔で怒濤のロングトークをし始めた時は、序盤の段階で「待って、今からする話は聞いてほしいの?ただ当たりたいの?解決策を聞きたいの?」と私から聞くようにしています。

私の妻は「共感してほしい」は良い意味であきらめてくれているため、ほとんどの場合は「聞いてほしい」か「理解してほしい」です。

私は人の話を聞くとほとんど必ず解決策を考えてしまう上に、ほとんどの場合はその解決策は相談の序盤ですぐに思いつくので、本当は解決策を言いたいのですが、妻からの要望はほとんど解決ではないので、「聞いてほしい」と言われた時は、私がしんどくなければただ聞き、「理解してほしい」と言われた時は一通り聞いて、最後に「わかった」とだけ言うようにしています。


私が聞くのがしんどい時は「明日にしてくれないか」と言うのですが、それで妻が理解してくれる時もあれば、妻もどうしても言いたくてそのまま怒濤のロングトークになることもあります。

そしてそのまま話し始めた場合はだいたいは口論になります。

アスペルガーが癇癪を起こした時は聞く力も記憶力も落ちるというのは妻は経験則で学んでくれているので、一度口論の内容を紙に書いてくれ、翌日、まるで仕事で資料をもとに打ち合わせをするかのようにその内容をもとに再度話をしてくれたことがありました。

これは癇癪を起こした時は聞く力が落ちる上に、視覚で捉えた方がわかりやすいアスペルガーに対しては非常に有効な策で、この日は有意義な話し合いができました。

アスペルガーは失敗を嫌うので、口論の中で自分が言ったおかしな発言をその場で非難されると逆上しますが、同時にアスペルガーは間違いを指摘せずにはいられないので、癇癪が落ち着いた後で口論の中で自分が言ったおかしな発言が紙に起こされたのを読めば、その間違いをお詫びすることができます。

「仕事ではできるのに、アスペルガーだから家ではできないは甘え」なのではなく、仕事では当たり前にやっていることを家でもやれば解決できる場合が多いのです。


「アスペルガーだから」は甘えではないというのは今は社会的に常識

かつては鬱(うつ)という病気が今ほど広く認識されていなかった頃は、鬱病になって家から出られなくなったり、食欲がなくなったり、酷い物だと動けなくなったり、自傷行為を繰り返したりする人は職場からは「甘えだ。」「俺だって辛いのに出社してるんだから。」「怠け者だ。」と言われていました。

酷い例だと医師に鬱病と診断されても、「医師はすぐにリスク回避のために何でも鬱だと診断する。これだから医者は信用できない。」などと言う人もいました。

今では法律の整備も進んでいるので、職場で上司が鬱病の部下に対してそのような対応をする場合、最悪の場合は経営者が監督責任を追求されることもあります。

社会的な位置づけに関してはこの点はアスペルガーも鬱と同じです。

なお、2005年には日本でも発達障害者支援法という法律が施行されていて、その第四条では、日本の国民は発達障害の特性などの理解につとめ、発達障害者の自立や社会参加につとめなければならないことが明記されていますし、またその第十三条では、発達障害者の家族が発達障害者をサポートできるよう都道府県市町村が相談や情報提供などのサポートにつとめなければならないことが明記されています。

アスペルガーは甘えではなく、脳の先天的な構造上、得意な行動と苦手な行動があるので、苦手な行動については周囲のサポートは必須なのです。




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